東日本大震災の被災地を巡る

こんばんは。
田中です。

前回のブログで、
正月休みを利用し東北地方に行ったことをお伝えしましたが、
祖父の生まれ故郷であった「矢川原」の地を見るという目的の他に
東日本大震災の被災地をこの目で見てくるというものがありました。

2011年3月11日、東北地方を襲った未曾有の大震災で、
地震により発生した津波の被害は、映像を見ていてもなお、
目を疑ってしまうものでした。

あれから4年が過ぎ、もうじき5年になろうとしていますが、
当時寄付といった形での気持ちばかりの援助はしたものの、
現地を訪れるといったことはしていませんでした。

いまさらと言えば、その通りなのですが、
やはり一度は自分の目で見る必要があるのではないかと思い、
今回の旅の目的の一つとして、被災地を巡ってみることとしたのです。

行った場所は、女川町、南三陸町、陸前高田市の3か所です。

最初に行ったのが女川町。
町民が避難したとされる高台の医療施設の1階まで津波にのまれたそうです。

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この高さの波が訪れる恐怖。
自宅がのまれるのを目の当たりにした方の話を聞き、背筋が寒くなりました。

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石碑の言葉の切実さが、身に沁みます。
ただ、女川町には新駅も出来、ショッピングモールのようなものも出来ていて、
人の動きを感じることが出来たのが少し救いでした。

そして、その後に向かった南三陸町。
着いた時には暗くなってしまっていたので、翌朝改めて見ることにしましたが、
その夜の姿があまりに衝撃的で、時が止まってしまったかのような感じを
受けたことをよく覚えています。

近くに宿泊施設もなく、この日は車中泊となったのですが、
その衝撃からなのか、中々寝付くことが出来なかったです。

翌朝は早く目が覚めてしまい、暗いうちに動き出し、
朝日の見えるところで、夜明けを待ちました。

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犬の散歩をしている方と挨拶を交わしましたが、
当時のことを聞くことは出来なかったです・・・。

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津波に流されて躯体のみとなった建物。
住民避難を訴え続け、亡くなった役場の職員の方で話題となった建物ですが、
ご遺族の方の心中を想像すると、美談では済むものではないですね。

その建物の生々しい傷跡に胸が締め付けられる想いが致しました。

そして、陸前高田へと向かいます。

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高田松原の旧道の駅や氣仙中学校。
内部は瓦礫の山です。

学校の屋上に看板があり、そこに記されたものは津波の高さ。
窓という窓はすべて破壊され、校舎すべてが飲み込まれたことがうかがえます。

周辺を車で走ると、農協の建物や集合住宅など、
解体がされず残っている建物もあちこちに見受けられます。

細かな瓦礫はきれいに撤去されていますが、
大きなものは、撤去が追いついていない様です。
意図的に残しているものもあると思いますが・・・。

その一つが、復興の象徴として保存された奇跡の一本松です。

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残すことに対し、様々な意見が出たと聞いています。
『被害を思い出すので、見たくない』
『未来への希望の象徴として残すべき』
『後世に被害を伝えるために残すべき』 などなど。

たぶん全ての意見が正しくて、正解はないのだと思います。

ただ、私のように幸いにも大きな被害にあわなかった人間には、
当時のことを知るために、目にすることが出来て良かったと思いました。

破壊されつくした建物を見ていると、
その時にここにいた人たちはどれほどの恐怖を覚えたのだろうか?
仮に安全な場所にいたとしても、我が家が目の前で流されてしまったら?
安否の分からない家族がもしいたら?

想像してみるだけで、胃が締め付けられるような想いがしました。

人は自然には逆らえません。
しかし、備えをしておくことでその被害を少しでも軽減していくことは出来ると思います。

今回、その被害の一端を自分の目で見ることが出来たことで、
自分に出来る何かを少しでもいいから行動に移す!
それを心に刻むことが出来ました。

多くの被害者のご冥福をお祈りするとともに、
自分のできることを探していきたいと思います。

発信するのも一つの行動と思い、ブログに書かせていただきましたが、
ご不快に感じる文章がありましたら、この場を借りてお詫び申し上げます。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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