携帯電話革命

この間の日曜日は、久しぶりに家族で私の実家で
夕飯をごちそうになりました。

父(会長)も、主人と飲むのは久しぶり。(私は運転手なので飲めず(-“-))
飲み相手がいるとお酒も進んでしまうみたいで、
気持ちよ~く酔っぱらっていつもより饒舌になっていき…(笑)
いろいろ話しているうちに、
話題は矢川原創業時の話になりました。

まぁその辺の詳しい話はホームページの
「会長と常務のインタビュー ~矢川原の礎を語る~」
で聞いたばかりだったので割愛しますが(笑)

そんなこんなで昔の現場は大変だったよなあと語りだす父。

中でもしみじみ語っていたのは携帯のこと。
「昔は携帯なんて便利なものはないから、何かあると近所のお宅に
 『電話を貸してください』って行ったりして大変だったんだよ…」

考えてみれば私が入社した当時、
(…すでに20年前になっちゃうんですが)
その時でもまだ携帯電話ってほとんどなかったんですよね(^^ゞ

当時はポケベルの時代。
監督や営業さんたちに電話が入ると、ポケベルを鳴らして
電話をもらって折り返してもらう、というやり方。

現場で屋根の上にいたりなんかすると、
なかなか下りられなかったり、公衆電話が見つからないと言っては
連絡が遅れたりでバタバタしていた記憶があります。

…今の子には想像つかないでしょうね(笑)

父の時代にはポケベルすらなかった訳ですから、
一日の仕事が終わって会社に戻ると、
お客様やら業者さんやらから来た電話メモの山。

それからあっちへこっちへと連絡を取って
あれこれ手配したりしなければならなかったんですから、
帰るのが遅くなるのも当然ですよね(^_^;)

今はそれぞれが当たり前に携帯を持っていますから、
業者さんとのやり取りは直接電話で、現場を見ながらでも済んでしまうし、
お客様からの連絡だって、電話やメールで詳細を伝えれば、
その場で手配とかもできてしまう。
夕方会社に戻ってから処理する仕事が減ったから
昔に比べて帰宅するのが早くなった、と監督の野島も言っていました。

携帯電話って、もちろん一般的にもとても便利なものなんですが、
建築業界にとってはホントに革命的なものだったみたいです。

そんな話をしてたら、
以前業者さんたちとの新年会で電気屋さんが、pic02
「おれはこ~んなでっかい肩掛けの携帯使ってたことあるんだよ」
と言ってたのを思い出しました。
携帯の初期の初期、重さが3キロくらいある上に、まだ補償金が当時20万円くらい必要だった(!!)という携帯電話。
※1985年頃(携帯電話の歴史より)
でもそれだけ払っても、あったらとんでもなく便利なものだったんでしょうねぇ。

 

ちなみに、我が家で一番最初に携帯電話(最初はPHSでしたが)を買ったのは私。

まだそんなに周りに携帯を持っている人が多くない頃だったので
両親兄弟みんなして、
「そんなもの使うのかぁ?」と、思いっ切り否定されましたけど、
今や一人一台当たり前ですからねぇ(^^ゞ

まぁ私が家族で一番先見の明があった、ということですね(笑)