歴史ある街川越で半世紀、地域密着でやってきた私たち矢川原は山田地域を中心に、樹のぬくもりを感じ、そして末永く家族と共に歩んでいける、自分たちの夢やこだわりを叶える家をどうしたらカタチにできるかわからないと悩んでいる人たちのために、とことん親身になって相談にのり、“それぞれの想い”を重ねながら、時を経るごとに味わいを深める、裸足になってほっとするぬくもりある樹の住まいと、人生を楽しむ暮らしを提供することに生きがいを感じている工務店です。
私たち矢川原は、この歴史ある街“川越”の山田地区で半世紀にわたって
「本物の樹の住まいと、人生を楽しむ暮らしを提供したい」という一心で、
家づくりに取り組んでまいりました。
今までも、そしてこれからもこの“川越”の山田地区で、少しでも多くの人たちに必要とされる会社でありたい‥
そんな想いで私たちは今日も家づくりに向き合います。
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半世紀前の川越は見渡す限りの田畑。
中でも山田地区は、夏にはカエルの声があちらこちらから聞こえ、
時にはホタルが見ることもできました。
子どもたちが夢中にザリガニを釣り、カブトムシを取る楽しそうな姿や、
桑の実を積んで頬張っている様子は、今でも懐かしい光景です。
当時の面影を残しながらも、
子どもを育てるのに抜群の環境の山田地区は、時代の変化にともなって、市街化されていき、今では閑静な住宅街となりました。
そんな時代の変化とともに、私たち矢川原も変化を遂げてきました。
・“川越市 山田地区”に移り、矢川原が誕生‥
・家づくりに携わる仲間との出会い‥
・葛藤の中の事業継承‥
半世紀、様々なことがありました。
株式会社矢川原の礎を築いてきた会長と常務。
この山田地域に根ざし、どのように成長してきたのか‥
皆さまにお聞きいただけたら幸いです。
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―矢川原に入社してから印象に残っていることは?
野島:昔から、矢川原では家族ぐるみで社員が子どもを連れて
一緒に海水浴にいくような行事があったんですよ。
「和気藹々としていて、あたたかくて良い会社だなぁ」と思ったよね。
私の息子や娘と、大工さんのお子さんと同級生ということもあり、
一緒に遊びに行ったりして、とても楽しかった想い出が印象深いなぁ。
昔勤めてた会社にはなかった雰囲気だから、このファミリー感はいいよな。
吉田:私が印象に残っているのは、上棟式かな。
何もない土台から一日で家が形作られていく様子は、
初めて見たときには本当に圧巻でした。
それに今はあまり盛大にやる方は少ないんですが、
私が入社した当初は上棟式と言えば昔ながらの直会(なおらい)という宴会も
結構盛大だったんです。
棟上げの後に、お客様を囲みながら、矢川原だけでなく、その家に携わる職人さんも集まって。
中でも印象的なのは鳶の頭(かしら)が唄う「木遣り」ですね。
朗々と響く頭の声に、大工さん達の合いの手が入って…
夕方の薄暗い中のせいか、何ともいえない雰囲気があるんですよね。
今ではやるところは少なくなったようですが、
矢川原では今でも上棟のときには「木遣り」を唄っていただくんですよ。
今ではすっかり合いの手も入れられるようになりました(笑)
社長:印象に残っていることというと、子どもの頃から知っている大工さんや職人さんたちと一緒に働く、ということそのものですかね。
私のアルバムには、一歳にもならない自分を抱っこしてる大工さんの写真がありますからね(笑)(右記は、矢川原大工、下斗米石男さんとのツーショット写真です)
そんな人たちと一緒に働くということに対して、不思議な感じを受けつつも、どこかで安心感を持っていたと思いますよ!
渡部:印象的といえば、「よその会社の下請けにならなくてすごいね」とお客さまから何回か言われたことがありました。
その時に、会長と言えば、“父”としか思っていなかったのですが、
このご時世で父は仕事においても、「立派な人だったんだ」と気づきました。
父が、大好きな注文住宅で樹をメインにして、自分のやりたかったことを
ずっと貫いてきたことは素直にすごいなぁって思いますね。
父の背中を見てきて、私も経理の立場としてだけではなくて、
「これから会社を良くするために自分が何かやらなくちゃいけない」と強く感じましたね。
あとは、私の自宅を建てた時ですね。強く想い出に残っています。
会長と色々話し合いながら、“一緒に建てた!”っていう想いがあるので、いい想い出ですね。
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